お知らせ

わたしの大学の同級生で最大のライバル☆岡本真菜子の写真展

を 表参道のMUSEE Fでやってます。「明るさ」6月19日まで。

https://www.omotesando-garo.com/museef/MF.html

わたしが大学時代からいろんな意味でとても影響を受けて育ってきた人。

えエーもしかして19日(土曜日)って明日??わたしも行きたい!


そしてもうひとつ。

銀座のリコーのリングキューブで

その名も「飯沢耕太郎が注目する美人写真家4人の写真展!!!」

(だれも言ってくれないから勝手にタイトルを変えてみた)

野村恵子、うつゆみこ、宮下マキ、藤岡亜弥という

メンバー。6月27日まで。

うん、なんかいいね。この名前が並んでいるのを見たとき

ビーチバレーのチーム組むならこの3人の誰と組んでも

強そうだなと思った。それにみんなお酒強そう。(なんとなく)

私はNYのシリーズから9点出しましたが、

どうだろう。どうですか?

わたしにもわかりません。

https://www.ricoh.co.jp/dc/ringcube/event/message2010.html

リコーの和田さん、ほんとうにお世話になりました。

2010-06-19 | Posted in BLOG2 Comments » 

 

エンターティナー

2年ほど前、アメリカが不景気のまっただ中の時、「お金に困っている人に現金配布でタイムズスクエアに長蛇の列」というニュースが流れ世間を騒がした。これは実業家 が主催した「救済」イベントだそうで参加者が語る身の上話の内容により現金50ドルか100ドルを手渡すというものだった。どれだけ自分の不幸を上手にプレゼンできるかということなのだろうけれど、わたしはこの時これは日本人のメンタリティではこれはできないだろうなと興味深く思ったのを覚えている.

NYに来てまずいつも感心するのはアメリカ人はよくしゃべるということである。そしてさらにステージに上がってスポットが当たることに慣れているから人前での演説がうまい。そのように小さい頃から学校や社会で訓練されて来ているのだろう。はずかしいからいやいやと言う人をアメリカでわたしはほとんど見たことがない。それを見てはいつもああここはエンターテイメントの国なんだなと感心する。自分はどうやったらあんなエンターティナーになれるのだろうといつも思うのだった。

たとえば、ホームレスの人たちでさえ演説が光っている。地下鉄に乗っているとホームレスの人がやってきてお金を乞うのだけれどその演説の内容はもちろん不幸自慢がベースになっている。そしてそれがあまりにもエキストリームでおもしろい。

わたしはこのあいだまでなるだけそのような人とは眼を合わせないようにしていたのだけれど、最近はそれが始まると待ってましたとばかりに読んでいる新聞を閉じ彼らのプレゼンに食い入るようになった。ひそかに観察し勉強をするのである。そしてたまにいいものを聞かせてもらったなと感動したら(笑えたら)微力ながらポケットに入っている小銭を寄付するようにしている。私のなかで「ずうずうしさ」が高ければ高いほどポイントは高い。

ちなみに最近聞いて印象に残っているのはこんな感じ。

「レディースアンドジェントルマン!私は、38才の無職です。父はアルコール依存症、母は不倫中、妻は120キロもある巨体です。そして妻はいつもダイエットコークばかり飲んでいます。そのダイエットコークを買うのに毎月どれだけお金を使わなきゃいけないと思う?娘は生まれつき体が弱くて病院に入っているけど、出て来てもミルクを買うお金さえないんだから。私も今日寝るところがない。だって妻が太り過ぎてベットに寝れなくなり家を追い出された。だからプリーズプリーズヘルプミー」と言ってた。(この話、決してわたしは脚色をしていない。ほんとにそんなことを言っていた)

さらに次の人は「僕の生活はとにかくたいへんなんだ。医療保護もないし、職もないし家もないし家族もない。でも僕にだって生きる権利があるんだから、あなたに慈悲の心があるならどうか恵んでください。お金がなかったらあなたのバックに入っているリンゴでも食べかけのサンドイッチでも何でもいいです。ください。でも、もしなにもくれるものがなかったらあなたのハグでさえ僕の生きる励みになります。ハグしてください!アイラブユ」という、、、むちゃな熱弁だった。

そのくったくのない演説に度肝を抜かれ感心して見ていると、驚くべきことにけっこう多くの人が笑いながらお金を恵んであげていて、しかもなんとわたしの隣の人にいたっては自分がちょうどまさにつけようとしていたハンドクリームをその人にも丁寧につけてあげていた。。。。ありえないけどおもしろい。その身の上話を聞いて悲しくなって泣けてくるというわけでもなくなぜか笑ってしまい拍手してしまいたくなるのだからこれも一種のエンターテイメントだと思う。ここは不思議な街だなと思う。こんなときまた生きる勇気をもらう私なのだった。

ちなみに長い間観察をしていて分かったことがある。臭い人や陰気くさそうなホームレスには乗客は眼を伏せて知らんぷりだが、パフォーマンスが堂々としていてフットワークのよいホームレスには乗客はチップをあげやすい。ポイントは「軽やかさ」なのだと思う。「哀れ」なのことを軽やかに堂々とやると、人はぎゃくにそれに気持ちよさを感じるのかもしれない。

あっぱれ!

2010-06-13 | Posted in BLOG10 Comments » 

 

平和について

5年前にベルギーの平和運動に参加した。

一日30キロ、10日間で300キロ歩いた。

これは平和市長会議(2020年までに世界から核兵器を廃絶する)に向

けての運動で、ベルギーを横断しながら市長を訪ねてまわり平和市長会議

への参加のサインを集めるというのが趣旨だった。

これに参加したのには3つの理由があった。

ひとつはそのころ自分の写真のスタイルに限界を感じていて、真のドキュ

メンタリストになるにはどうすればいいのかもがいていたこと。

そしてもうひとつは 広島県人として一度きちんとヒロシマに向き合うべき

なのではないかと考えたこと。

広島県人だからヒロシマをテーマにするとは安易な思いつきだが、なんら

かの社会的な視線をもつためには、必ず私的な理由が必要だった。

最後のひとつは、そろそろ会社を辞めたいと思っていたからである。

そんなとき、いいタイミングでスロバキアのヒッピーの友人から

メールが来てこのピースウオークの話を知ったのだった。

会社を辞めてはるばるベルギーまで行って平和のために揚々と闊歩する

つもりで参加したものの、現実は厳しかった。

いきなり初日から歩き過ぎで靴づれとなり2日目には足の裏の皮が剥け

3日目にしてわたしは体力と気力の限界を感じた。

しかも夜はテントである。

いくらわたしがスポーツジムで体を鍛えていたからといっても、筋肉が

あることと歩くことは話が別だった。

そして平和に対する思想のないわたしがひょっこりそんなピースウオ

ークに参加するのは、日芸生が司法試験の会場に行くようなものだった。

もうチンプンカンプンである。

原爆についてなにか聞かれるたびにわたしは自分の考えの未熟さと無知

を思い知った。もう帰りたくて毎晩ほとんど泣いていたにもかかわらず、

わたしの悪い癖で抜けるきっかけが掴めず、ついに 10日間結局最後まで

歩き続けてしまった。

訳が分からないまま 国連前で白い衣装を着てガスマスクをつけての寸劇

や、灯籠流しやデモに参加する自分を冷めた眼で見ていたと思う。

どうであれ、壮絶な思い出である。

その後これらの経験をなにかの形にまとめるべきだったのが、核兵器廃絶

や平和について自分の思想をきちんと言葉や写真に組み立てる力がなく

わたしはこのベルギーでの経験を5年間タンスの中にしまったままだ。

これが漬け物のように、いつかいい味となるのならいいのだけれど。

NYではいま国連で 核拡散防止条約の再検討会議(NPT)が開催されて

いて、あのときのベルギーの仲間がNYに来ている。

ベルギーの活動家のポールはいまや2020平和市長会議を取り仕切る

一人であり、そしてオランダのクリスタはNYのタイムズスクエアのステージ

で「わたしの国は核共有国です。そんな国から来たわたしを許してくださ

い。国の責任はわたしの責任です」と演説した。

そしてさらに思いもよらずあのときベルギーで被爆者として証言した佐藤さ

んにも再会。もう80才だけど5年前と変わらずお元気そうでよかった。

佐藤さんはわたしがポールと同じ平和活動家だと信じている様子で、いつも

どうも話が食い違うのだけれど、自分が佐藤さんが思うほどのジャーナリス

トになれたらどれだけいいかとつくづく思う。

今回の国連の会議に合わせておそらく2000人近くの日本のサポーターや団体

被団協の人たちが日本からNYに集まり平和行進やイベントが行われた。

それぞれ日本人のド根性をみせているかのような衣装だったが、みんな

がいい笑顔で 天気もよく気持ちのいい大行進だったと思う。

わたしもポールに頼まれてその平和行進を撮影。

いい写真を撮らなければいけない時に、期待に応えられるいい写真家にな

りたいが、そういうときにかぎって緊張して手ぶれをする情けないカメラ

マンっているけれど、なんでそれがいつも私なのだろうか。

しかし久しぶりに一生懸命写真を撮っていい運動をした後のような清々しさ

があった。

自分の考えをはっきり持って主張することは難しいが、自分なりに少しだけ

平和について、世界の中の日本について、自分の国のヒロシマについて、

それに関わる自分について考えた一日だった。

2010-05-07 | Posted in BLOG2 Comments » 

 

実験中

生きていけないんじゃあないかと思うくらい朝起きるのがつらかったり、

きれいに咲く桜を見て嫌な気分になったり、、、

これは普通じゃあないんじゃあないかとある人に相談したら、

「アナタ、それは超低血圧なだけよ、朝バナナ食べなさい。

わたしの言う通りにしてれば治るから」

と言われて、毎朝バナナを食べることを約束させられた。

しかし無理矢理起きて朝とにかくバナナを食べることはもう痛々しいと

いう表現を超えていた。

朝から普通にバナナを食べるほどの元気があったらもう低血圧ではない

のだから。

そんなことがはじまりで、泣く泣く体質改善を考え始めた。

これまでの自分の食生活を見直すとかデトックスとか、ちょうどいい

年頃かもしれない。

ここでみなさん!

長い間大変お世話になりましたが、

わたしお酒をやめました

(今なにか言ってる方、はいはい。わかりますよ。その寂しい気持ち。)

酒豪と呼ばれてはやOO年、いったいどれだけの酒を飲んで来ただろう。

夕食には赤ワイン、お風呂上がりに缶ビール、寝る前にウイスキー、

お昼には梅酒と粋にお酒を楽しむわたし、飲みに行けばグラスではなく

ボトルを、ジョッキではなくピッチャーをと、まるでオッサンみたいに

頼もしく飲めるわたしがお酒をやめるなんて、信じられないでしょう。

けれど本当なのである。どうしても飲みたい時には飲めばいいとさえ思っ

ているものの、もうかれこれ飲まずに1ヶ月が経つ。

意外なことにお酒やめるのはけっこう簡単だった。

お酒を飲まなくても、水で酔っぱらえるような人間だったんだなということ

である。

お酒を飲まなくなると、チーズやオリーブとか生ハムとかチョコとか、

そういったお酒のおつまみになるようなものも食べなくなるもので、食生活

も少し変わった気がする。

お酒のない食卓にはまったくムードがないが、

ワイングラスで水を飲むのも高級感があって悪くない。。

こんなことができるなら、あれだけベジタリアンをばかばかしいと思って

いたわたしが、いよいよベジタリアンになる日もそう遠くないかもしれな

い。

実はもうひとつやめたものがある。

それはコーヒーである。

なんと意外にもこれはお酒をやめるよりはるかに難しかった。

コーヒーを飲めないのはあまりに痛苦でがまんできず、これは精神的に

よくない。そこで今まで一日10杯飲んでいたところを1杯にすると

いう努力をしている。

自分はコーヒーホリックだったんだということにやっと気づいた次第で

ある。もう美味しくないコーヒーをがぶがぶ飲まないかわりに美味しい

コーヒーを一杯だけ飲もう。

お酒とコーヒーをやめたことがどれだけ健康に影響するのか分からない

が、かつてこんな身を削る実験があっただろうか。。

人生ではじめて摂生している気がする。

食生活を変える、それは生き方を変えることであるらしい。

勇気を持って生き方を変えつつある自分は本当にエラい!

エラーい!!エラーい!!!

2010-04-29 | Posted in BLOG10 Comments » 

 

ビューティウォークと私

これまでに私の人生を変えた出来事を挙げてみてと問われたら

台湾留学、写真集の出版などいろいろあるがやはり「ビューティウォーク」

との出会いを語らずして自分のことを語ることはできないと思っている。

「ビューティウォーク」とはまさに美しく歩くための教室なのだけれども

わたしはここで人生の基本を学んだ。

美しく歩くことは美しく生きることでもあった。

悶々とダラダラつまらない顔をして会社に通っていたわたしは、

ある日「今なら入会金ゼロ!!」というポスターを見て、気まぐれに

代々木上原のスポーツジムに入会する。(後で気づいたらそこは年中

入会金ゼロのキャンペーンをやっていた。)

2ヶ月くらい過ぎて運動なんて面倒くさいからもうやめようと思っていた

ところに奇跡的に出会ったのが、この「ビューティウォーク」である。

まず先生が魅力的であること、そしてクラスに出ているみんなが

とても美しく輝いていること、クラスに出た後なぜか気持ちがよかった

こと、、、もちろん私はそのクラスの虜になってしまった。

そしてそれ以来、週に2回のビューティウオークのクラスはなにがあっても

欠かさないという生活をその後4、5年ほど続けたと思う。

姿勢がいい女は、体も心も美しい。

chika2

ビューティウオークは少しづつ私のマインドを変え、人生を変えていった。

美というものに興味のなかった私が

「今きれいにならずにいつきれいになるの?」とか

「女がきれいになるためにお金はあるんだから!」とか

「女として生まれたからには、少しでもチャーミングに生きなければ

いけないんじゃあないの?」

などの驚くべき究極のセリフを吐くようになったのもこの頃だったと思う。

わたしは自分の体を意識するようになり、人に見られることを意識するよう

になった。そうすることによってマインドが少しオープンになったと思う。

人は、美しいから姿勢がよいのではない。

姿勢がいいから心も体も美しくなるのである。

それ以来、会社の残業や飲み会やデートの約束よりも、まずスポーツジムを

優先してしまうようになった。

「ああ、、その日はちょっと、ごめんなさい」と言って断ってもまさか

それがスポーツジムのためとは決して言えなかった。

(もし言っていたら、会社や友達を失っていただろう。)

天気のいい日曜日などはスポーツジムに行くのはもったいないと思いながら

もせっせとジムに通った。ビューティウオーク、ヨガ、スイミング、ジャグ

ジーと朝から晩まで ジムでまったり過ごし、夕日を浴びながらぐったりして

家路に着く時のなんともいえない充実感と悲哀感をわたしはいまでも

覚えている。

私のようななまけものが運動を続けるのは容易なことではなかったが、

ビューテイィウオークのおかげでわたしはものすごい筋肉の持ち主になって

みんなにうらやましがられた。(いや、恐ろしがられた。)

Scan 2


このビューティウオークのチカ先生については、いづれまた書こうと

思っているが、たまに気分がやさぐれてしまっているときわたしは

いつもチカ先生に会いたいなと思う。

彼女はいつまでもわたしの心の先生なのである。

そしてさらにこのクラスには 意識の高いいい仲間がいて一緒に

ショーを作り上げたり踊ったり飲みに行ったりとにかく笑いが絶える

ことがない。わたしはその中にいるとき、とても幸せだった。

(ちなみに不思議なことにこのクラスは美人ばかりなのに、

独身率は非情に高く常に約83%ほどはあった。)

人のことは言えないが、はやくここから脱出して結婚でもしましょうよ、

と言うに言えないほど、そこには余裕と気迫と熱気があったと思う。

chika

その先生と仲間との付き合いはもう6年にもなり、遠くにいても

わたしはいつもこの人たちに支えられていることを感じている。

最近どうしていいのか分からないつらい日が続いたが、ふと気づいた。

ビューティウオークの精神にのっとって、

体を変えたら、心も変わる!そんなことを思い出した。

わたしはまず運動をするべきだと思った。

NYでこのビューティウオークに代わる何かと出会うことができたら

わたしはここでもたくましく生きて行けるのではないかと思う。

運動をして、強い精神力を養って

「来年はニューヨークマラソンにチャレンジするよ!!」

とおもしろい冗談を言えるくらいになりたい。

(いや、ぜったいしないけどね。)

2010-04-03 | Posted in BLOG3 Comments » 

 

ホームシック

街を歩いていてふとショーウインドーに映った自分の姿を見て

なんだか無性に悲しくなった。

これを着ると白い妖精みたいだと思っていた真っ白いコートも

すっかり灰色にくすんでしまいみすぼらしかった。

そんな自分を見つけてふいにオイオイと声をあげて泣きたくなった。

誰かに背中をさすってもらいたい。

誰かにあたまをなでなでしてもらいたい。

なぜかきょうだけは5才の子供のように訳もなく泣いてだれかに

だっこしてもらいたくなった。

これがいわゆるホームシックというものなのかもしれない。

ひとりぼっちで寂しい、かといって人に会うと極端に疲れるし、

鏡で自分の姿を見るとなんともみすぼらしくて小さい。

何もうまくいかないように思える。

なにかにとても疲れているんだなと思った。

ただただひとりぼっちを感じるだけ。

この一週間はそんなスパイラルに落ちてしまった。

new york11

なにもしたくない。

こんなときは家でだらだら回復を待つしかなかった。

この家主の本棚にあった「ダライラマ、こころの育て方」

や「人間失格」太宰治などいろいろ試したがどんな本も文字を追っても

頭に入らず全部途中でギブアップ。

最後に向田邦子「思い出トランプ」に落ち着く。

どんな小さな人生にも哀しいドラマがある。

人間っていろいろあるんだなー。

どうしようもない気分でベットにうつぶしてひとりで大泣き。

そして「ちっちくーん」と昔飼っていた犬の名前を叫んでみた。

(小説とはまったく関係なし)

単純に泣くことができて満足したんだと思う。

真夜中に起きてうどんを食べて寝て起きたら、

またお腹がすいていた。

けだるいながらも、真剣に野菜を切ってスープを作り始めたら

だんだん元気になってきた。

料理はいつもと違う脳みそを使うらしい。

わたしがホームシックと戦っているあいだ、NYは春のように暖かい

一週間だった。

きょうからまた冬に逆戻り。雨。

2010-03-15 | Posted in BLOG9 Comments » 

 

魚座

指輪をなくしてしまった。

一年半も毎日つけていたのだから、それはもう自分の一部のような物で

中指にぽっかり穴があいたような気分。

探しても探しても見つからず。

ぜったいありえないと思いながらも、もしかしたら料理をしたとき

タマネギや人参の皮と一緒にゴミ箱に落としてしまったのかもしれないと、

何度も 自分にあきらめを促すのだけれど、それでも時間を巻き戻したいと

また何度も思うのだった。

それ以来いろんなだめなことが立て続けにおこる。

なぜか男友達とけんかするようなことになったり、、。

おまえはサムライかと言われるほど、切りまくってやった。

しかし自分がどんなに正当なことを言っていても、正当なことを言う

ことが、必ずしもいつも正しいというわけではないことも知っている。

でもわたしは、おかしいことはおかしいと言いたいのだった。

自分はけんかして水に流しましょう、といういい性格の人間だと

今まで思っていたけれど、もっといいのはけんかせずに水に流せる人間だ

とわかった。

この場合、大和撫子としてぐっと言葉をがまんし丁寧に魚をさばくように

問題を説明、 解決するべきだったとだと反省する。

ここで反省するところがまた女々しくて、、、そんな気苦労をする

自分がまたかわいそう。

park

こんなだめな時なぐさめに、星占いをのぞくと

どの占いを読んでも今、魚座は 最高潮 、星5つ!!

自分がとてもツイてないなと思っている時に、

アンタ今がサイコーと言われたら、どうすればいいんだろう。

なんのなぐさめにもならない星占いである。

2010-03-08 | Posted in BLOGNo Comments » 

 

黒田光一さんのギャラリー

このあいだのAkaakaでの展示の時、最終日に会場の記録写真を

写真家の黒田光一さんに撮ってもらった。

黒田さんは 風貌はそうでもないけれど、黒田さんの写真は

とてもジャズィーな感じがするなと思っていたら、

まさに音楽のように写真を撮る人だった。

あとで撮ってもらった写真を見て驚いた。

自分に記録写真を撮るセンスがないからこそ、展示の記録

写真を頼んだつもりだったのに、それはあきらかに黒田

ワールドで、普通の記録写真ではなかった。

この構図は、黒田さんならではのものだと思う。

例えば、これ。

なぜかDVDの画面を撮っていて、言ってみれば、粒子が美しい。

展示4

例えばこれ。テーブルの赤が美しい。

展示3

こんな前衛的な記録写真は、もはや記録写真ではなく、

もっともアバンギャルドに記録された黒田さんの作品

のようである。さすが、写真家というのはおもしろい。

わたしはただの記録写真でさえ型にはまらなくていいのだという

ことを教えられた。

そんな黒田さんがギャラリーを開設したそうで、

そのギャラリーにわたしのサイン本を置いてくれることになった。

場所は吉原のど真ん中というかなりレアな場所にあって、

迷いながらそこにたどり着く道のりまでもが、黒田ワールドに思える。

この黒田さん手作りの地図も笑えた。

きっとそのギャラリーも黒田さんらしい ジャズィーで

独特な空間なんだろうと思う。

こんなプライベートギャラリーなんてなかなかできないな。

黒田さんの熱意を感じずにはいられない。

ぜひ道に迷うことを前提に、(これ重要!)

ふらふら遊びに行ってみてくださ〜い!

2010-03-02 | Posted in BLOGNo Comments » 

 

バレンタインデー

昨日たまたま久しぶりに父のブログをちょっとのぞいてみたら、

父がバレンタインデーにチョコを何個ももらったというホクホク

した日記だったので、驚いてしまった。

わたしは父との思い出深い記憶はなにかと聞かれたら

小学生の時バレンタインデーに父にプレゼントしたハンカチを

思い出す。きれいにラッピングされた四角い箱の中にはチョコ

ではなくチョコレート色をしたハンカチが入っていた。

バレンタインだからチョコという当たり前の発想がいやだった。

チョコよりも心のあるものをと考えた末のいじらしいアイデア

だった。 結果、田舎者で無粋な父はどうせチョコだと勘違いし

それをそのまま冷凍庫にほおりいれ、ハンカチはみごとに冷凍された。

それを見た私はもちろん失望し、それ以来父に義理チョコさえ

思いついたことはなかった。

しかし今年、妹までもが父にチョコを贈っているとは、、、、

わたしは真顔で「やられた」と言わずにはいられなかった。

まさか、毎年これをやってたんじゃあ、、、

妹という生き物はいつもこのように、なにげなく父をくすぐる方法を

生まれた時から知っている。私はあきれるばかりである。

まおちゃんやまりちゃんからチョコをもらってうれしそうに

へらへらしている父が目に浮かんだ。

よかったねえ。

写真を貼付ける方法も覚えて、ワープロもたどたどしいが

がんばってブログをやってる父をかわいいなと思いながら

読み進めて行き、ふいに最後のフレーズに絶句した。

こんな無粋な父をどうか許してほしいと思うのだった。

ここにリンクを貼るのをたいへん戸惑いつつ。。


昨日はバレンタインデーパパもチョコをもらいましたよ。

近所の女の子、小学校の2年生、2個も写真です。

東京から、ちさのチョコが急便で届きました。高いチョコでしょう。

写真です。又、マリから、クッキイをつくたのでともらったので写真を

パパはたべないから、ままがよろこぶでしょう。

以上

2010-02-27 | Posted in BLOG2 Comments » 

 

生クリームとワッフル

きょうは大切な一日にしようと思っていた。

外は雨だった。

朝、妹とスカイプ。

朝からしたくもないのになぜかがっつり姉妹げんか。

これはだめだと気分を入れ替えて

新聞を買って星占いを読む。

よしよし。いいことあるって書いてあるぞ。

せめて今日くらいはネイルサロンに行ってみようかなー

と思っていたら電車を降り損ねてしまいあえなくそのまま暗室へ。

暗室で2時間髪を振り乱してプリント。

夜、ある男の人がディナーに誘ってくれたので、

乗り気ではなかったけど、一人で過ごすよりマシと思ってノコノコと

雨の中ジャズバーへ。

好きでもない男と特別な日を過ごす。そんな自分にちょっとブルーに

なりながら、いや、友達だから大丈夫。などなど

いろいろ気をもんでいたけれど、

結局なんの心配もなかった。

相手も私のことをなんとも思っていないことがわかった。

安心でもあり残念でもあった。

ああ、これが女心ってもんよねー。

ふったのにふられた気分ってこのことかと思う。

なんとかやり過ごし、その友達に感謝しつつも

いまいち楽しめなかった自分を責めながら。

とりあえずとてもジャズィでブルーでアメリカンな雨の夜が終わった。

深夜23時、家に帰ってひとりで生クリームをワッフルに乗せて

食べた。するとむふふと笑えた。

いくつになっても、どんなに雨が降っても、どんなにさみしくても

今日はうれしい日なのだと思う。

盛大にろうそくを吹き消して丸いケーキを食べることが、

あたりまえだと勘違いしていた小さい頃の自分を思い出す。

そんな勘違いをさせてくれた両親に感謝。

わたしは幸せな子供だった。

しずかな夜は、いろんなことに感謝するためにあるのだった。

メールを開けてみたら友達からおめでとうメールが!

あまりにもここ最近年をごまかしてきたので、自分が何才なのか

はっきりしなくなっていたわたしは 一人の同級生によって

はっきりと自分の本当の年を教えられる。

例えば、

5才だと思っていたけど6才だったんだ私。。。とか、、

そんな、そんな誕生日。

画像 059

2010-02-25 | Posted in BLOG2 Comments »