わたしは高校時代ラジオを聞くのが大好きで、いわゆるオタクであった。
学校から帰るとまっすぐラジオの前に行く。
おやつをむさぼりながら晩ご飯まで聞く。
ご飯が終わるとまたいそいそと部屋に閉じこもって宿題をするふりをしなが
ら、ラジオを聞く。そんなのが日課だった。
音楽に酔いしれ、聞こえてくる声に憧れて、ラジオのむこうの世界を想像し、
せっせとハガキを投稿したりなんかして、ひとりニタニタ笑っていた。
そしてそれがそのうち将来はラジオのDJ、もしくはMC、もしくは広島球場
のウグイス嬢になりたいと真剣に考えるようになった。
早くこんな田舎を出て標準語を勉強したい!
そんな夢を見る小鳥は、日本大学芸術学部放送学科を受験。
しかし、まさかの落選!!!
途方に暮れる間もなく、やけくそになって写真学科を受けたら、
まぐれで受かってしまったので、写真をやるつもりもないのに写真学科に入る
ことになった。写真学科に通いながらアナウンサーになれるつもりでいたの
だから、世間を知らない若者というのは、ほんとに恐ろしい。
そういうわけなので、大学に入ってからも気持ちが写真に向かず授業に
出てもどうしていいかわからない。なにもできない。つまり、興味がない。
クラスに出てもいつも上の空だった。
そんなある日、ゼミでいまトーマスさんの写真展をやっているから見に行って
感想文と書けという課題が出された。
その写真家は「トーマスション、ナントカ」という写真家で、大きな展覧会が
新宿のコニカでやっているとのことだった。
ちなみに新宿コニカがアルタの横にあったころである。
同級生だった岡本真菜子は、自分は写真展を見たあと、アルタの近くの
シェイキーズというおしゃれなピザ食べ放題の店で課題をやるつもりだ
という。
写真には興味なくとも、有名な外人写真家の写真展を見に行きアルタに
行って(そこでは芸能人に会うかもしれない)、シェイキーズでピザを
食べながら課題をやるなんてことは、田舎から出て来た者にとって、
それはなによりも東京に来た甲斐があるというものだった。
しかし岡本さんと私が、新宿のコニカプラザに行った時、もうすでに
トーマスさんの写真展は終わっていて、東松照明というコテコテの日本人
の写真展をやっていた。
「トーマスさんおわっとるよー。。。しかたがないね」と言いはなち、
これで課題はなくなったとばかりにピザの食べ放題へ直行、死ぬほど食べて
江古田の下宿へ帰ったのだった。
しばらく経って、東松照明がずいぶん有名な写真家であることを知り、
さらにそれが「ひがしまつてるあき」ではなく、「トウマツショウメイ」と
読むのだと知った時は衝撃だった。
東松さんとトーマスさんを聞き間違えたのは
けっしてわたしと岡本さんだけではないだろう。
ピザ屋での裸踊りが、よみがえった。
かくして東松照明という名前は、わたしが写真学科で最初に覚えた言葉と
して深くこころに刻まれた。と同時に、岡本真菜子とも勘違い頻発同盟と
いう深い絆で結ばれた。
2013年1月、東松照明の訃報を新聞で読み
ご縁もなく一度もお会いすることはなかったが、
どんな方だったのだろうと思いを馳せる。
初めて触れた写真の音。
それはずっと遠くで輝いてわたしの憧れだった。
ラジオのアナウンサー志望の私が写真学科を中退するきっかけを失ったのは、
この東松照明という星と、岡本真菜子というライバルのおかげである。
ありがとう。しかし
ここまできて、最後にどうしても言いたいことは、
わたしはまだラジオアナウンサーの夢を
あきらめていないということである。もうペンネームだって考えてある!
テレビのコマーシャルではAKBのかわいい女の子が、夢は口に出さないと
実現しないと豪語している。若いのにしっかりしすぎだ。