広島県人
遠方からの便りというのはうれしいものである。
それは時間の流れを感じたり自分の歴史を感じたりする
特別なひとときである。
最近私が長い間会っていない大切な友人から
ふいにもらった2通のメールを紹介したい。
「藤岡さん、
お掛け様で、元気です。
藤岡さんはまたニューヨークから帰って来ました、良いですね。
私は仕事がまあまです、私は結婚しました、子供もありました。
日本に来る予定がない、ありましたら、ぜひ藤岡さんに連絡します。
私はいつも貴方を思い出します、最近何か変更しますか?
今日は2月14日バリンタインアですが、好きのboyがありましたら、
彼に愛意を表示してがんっばて下さい。
このメールが見ましたら、返事をお願いします。よろしくお願いします。
胡旭潔」
私が昔勤めていた会社の中国人の同僚の胡さんからである。
何年も連絡を取らずとも変わらない友情を感じるうれしいメールである。
仕事も人柄もまじめな人だった。メールもまじめだ。
「好きのboyがありましたら、彼に愛意を表示して。。。」
という、胡さんのくったくのない言葉にも感動を覚える。
そんなこと簡単にできたらだれも苦労はしていないのだが、
誰かに愛意を表示することは、もしかしたら考えるよりもずっとシン
プルなことなのかもしれない、といろいろ考えさせられた
まっすぐでいいメールだった。バレンタリンア。アーメン。
最近、今どこ?というメールをよくもらうのだが、
去年の年末には小学校のときからの友人から突然こんな不穏なメール
が届いた。
「あやちゃん、今どこにいますか?あやちゃんにこのメールは届いて
ますか?あやちゃんのお父さんがブログであやちゃんを探していま
す。このメールを読んだらすぐに返事をしてください。」
私は何ごとがあったのかわからず、ぎょっとしてすぐに父のブログを
探した。私が長いあいだ読んでいなかった父のブログをここに添付
してみよう。
「あや、どうしてますか。パパのブログに返事をくれますか。
スカープウがだめになったのでんメールをブログに書いてください。
いつごろ日本に帰るのか今何をいるのか。最近のことを知らせてく
ださい。パパとママは5月4日から6日にてアルペンルートに行
きました。ままー良かった。。天候も余り良く仲ってけど。
パパより」
父はニューヨークにいる私にあててメッセージをブログに書いている
のだが、父はこの時点(2012年5月)でブログに飽きたようだ。
その後ほったらかしである。
これを見た人は、親に連絡も入れずお前はなにをやっているんだ!
親不孝者!とあきれていることだろう。誤解だ。
ふうちゃん!そしてみなさーん!
私、生きております〜!実家にも連絡を入れております〜!
ご心配をおかけしました。
(毎回のことながら)
近況をお知らせする場であるこのブログも1年半もさぼった。。。
さぼればさぼるほど、もう見たくない。という心境を
どう乗り越えて、また書き始めるのか。
(それを察してほしい。)
私は去年ニューヨークから帰国し現在広島在住である。
20年ぶりの広島である。
広島には7つの川が流れていて、私はその7番目の川が見えるアパートに
住んでいる。
川の近くに住むということと、アパートから川が見えるというのは
似ていて非なり。窓から川が見える生活というのはすばらしい。
広島出身とはいえ20年も留守にしていたので、まるで外国人のような
気分になるときもある。驚きや新しい発見も多い。
ふるさと新発見のひとつは、広島人は真面目な顔をして意外に
だじゃれ好きな人種ではないかということである。
例えば、呉線に乗っていると、これである。
「酔って迷惑カキないで」、、、、特産が牡蠣だとはいえ、
いくらなんでも無理があるのではないか。大胆だ。
駅のアイスクリーム屋には、こんな名前の焼き栗入りのアイスを売る店。
「愛ス栗〜夢」でなかっただけよしとする。
つぎに、「むさし」という広島にある有名なおむすび屋のオリジナル商品である
紫蘇茶のネーミングがなんと、「おいシソー」。売れ行きが心配である。
また、ひろしま生協のカタログを見ていると、ためいきがでるほどの
一級のだじゃれが次々とでてくる。
広島カープの応援商品には、カープの鯉にかけて作った柏餅。
そのコピーが、「勝ちよコイ!」そして餅の名は「コイコイ勝餅」
冷凍スルメイカのキャッチフレーズは、
「この鮮度、産地で食べているみたいじゃあなイカ!」
作っている人もさぞかし楽しいだろう。もう一つ言わせてもらえれば、
広島の観光キャンペーンのキャチフレーズをご存知だろうか、
「おしい!広島県」という残念なコピーで、私は見るたびにイラッとしている。
これをよしと思う広島人はいるだろうか、と憤慨していたら、
ある日、「おしん」という映画のプロモーションでこの「おしい!広島県」
をパロってこのような映画のポスターが、、、、、!!!
やるじゃあないか!広島県!
はじめて「おしい!広島」というキャッチが生きた仕事だと
私はうなった。
このポスターを制作した方のセンスの良さ、そしてそれを許した
広島観光協会に熱い拍手を送りたい。
そしてこんなダジャレの多い楽しい広島にぜひ遊びにきてほしい!
こんな電車も走ってるよ〜!待ってまーす!
AKB
わたしは高校時代ラジオを聞くのが大好きで、いわゆるオタクであった。
学校から帰るとまっすぐラジオの前に行く。
おやつをむさぼりながら晩ご飯まで聞く。
ご飯が終わるとまたいそいそと部屋に閉じこもって宿題をするふりをしなが
ら、ラジオを聞く。そんなのが日課だった。
音楽に酔いしれ、聞こえてくる声に憧れて、ラジオのむこうの世界を想像し、
せっせとハガキを投稿したりなんかして、ひとりニタニタ笑っていた。
そしてそれがそのうち将来はラジオのDJ、もしくはMC、もしくは広島球場
のウグイス嬢になりたいと真剣に考えるようになった。
早くこんな田舎を出て標準語を勉強したい!
そんな夢を見る小鳥は、日本大学芸術学部放送学科を受験。
しかし、まさかの落選!!!
途方に暮れる間もなく、やけくそになって写真学科を受けたら、
まぐれで受かってしまったので、写真をやるつもりもないのに写真学科に入る
ことになった。写真学科に通いながらアナウンサーになれるつもりでいたの
だから、世間を知らない若者というのは、ほんとに恐ろしい。
そういうわけなので、大学に入ってからも気持ちが写真に向かず授業に
出てもどうしていいかわからない。なにもできない。つまり、興味がない。
クラスに出てもいつも上の空だった。
そんなある日、ゼミでいまトーマスさんの写真展をやっているから見に行って
感想文と書けという課題が出された。
その写真家は「トーマスション、ナントカ」という写真家で、大きな展覧会が
新宿のコニカでやっているとのことだった。
ちなみに新宿コニカがアルタの横にあったころである。
同級生だった岡本真菜子は、自分は写真展を見たあと、アルタの近くの
シェイキーズというおしゃれなピザ食べ放題の店で課題をやるつもりだ
という。
写真には興味なくとも、有名な外人写真家の写真展を見に行きアルタに
行って(そこでは芸能人に会うかもしれない)、シェイキーズでピザを
食べながら課題をやるなんてことは、田舎から出て来た者にとって、
それはなによりも東京に来た甲斐があるというものだった。
しかし岡本さんと私が、新宿のコニカプラザに行った時、もうすでに
トーマスさんの写真展は終わっていて、東松照明というコテコテの日本人
の写真展をやっていた。
「トーマスさんおわっとるよー。。。しかたがないね」と言いはなち、
これで課題はなくなったとばかりにピザの食べ放題へ直行、死ぬほど食べて
江古田の下宿へ帰ったのだった。
しばらく経って、東松照明がずいぶん有名な写真家であることを知り、
さらにそれが「ひがしまつてるあき」ではなく、「トウマツショウメイ」と
読むのだと知った時は衝撃だった。
東松さんとトーマスさんを聞き間違えたのは
けっしてわたしと岡本さんだけではないだろう。
ピザ屋での裸踊りが、よみがえった。
かくして東松照明という名前は、わたしが写真学科で最初に覚えた言葉と
して深くこころに刻まれた。と同時に、岡本真菜子とも勘違い頻発同盟と
いう深い絆で結ばれた。
2013年1月、東松照明の訃報を新聞で読み
ご縁もなく一度もお会いすることはなかったが、
どんな方だったのだろうと思いを馳せる。
初めて触れた写真の音。
それはずっと遠くで輝いてわたしの憧れだった。
ラジオのアナウンサー志望の私が写真学科を中退するきっかけを失ったのは、
この東松照明という星と、岡本真菜子というライバルのおかげである。
ありがとう。しかし
ここまできて、最後にどうしても言いたいことは、
わたしはまだラジオアナウンサーの夢を
あきらめていないということである。もうペンネームだって考えてある!
テレビのコマーシャルではAKBのかわいい女の子が、夢は口に出さないと
実現しないと豪語している。若いのにしっかりしすぎだ。
たちばなまり
妹が生まれた時、わたしは6才。
もちろんいろんなことを覚えています。
まだ妹が母のおなかにいるとき
この赤ちゃんどんな名前がいい?と母が聞くので、
いろいろ考えたあげく
その子を「立花まり」と名付けました。
「たちばな」という名字はたんにすてきだったし
「まりちゃん」というのは、わたしのなかで最高にかわいい女の子の
代名詞だったようです。
6才の少女にとって「かわいい」ということは重要にして必須。
「立花まり」という完ぺきなひびきに酔いしれながら
なんども母のおなかにむかって「まりちゃん」と声をかけ、
まだ弟か妹か分からないものを、かわいがったものでした。
妹が生まれたときはうれしくて
「生まれてきてくれてありがとう」とけなげな手紙を
書いたほどですが、肝心の妹はそれを読んでいません。
みんなに「よかったね、おめでとう」
と言われてとてもうれしくて舞い上がったのを覚えています。
現在わたしの妹は「藤岡ちさ」という名前です。
両親が勝手に名前を変えました。
いつのまにかわたしも「ちこちゃん」とか「ちさこねえさん」と
呼んでいます。
妹が母のおなかにいるときからずっと妹の面倒を
見てきたつもりでしたが、いまやわたしがいまここにあるのは、
まさに妹のおかげでです。
妹には頭が上がりません。
なぜなら、わたしがいま寝起きしているのは妹の家だからである!!
そんな妹は西光亭というクッキー屋さんの
リスのクッキーの箱の絵を長年描いています。
アメリカにいた私は知らなかったのですが、
ずいぶん人気のようです。
帰国してもっと驚いたことに、
このあいだそのリスの絵がかわいい絵本になりました。
デザイナーはわたしの写真集の装丁もしてくださった
坂川栄治さんです。
色がとってもきれいな絵本。
寝る前にこどもによんであげたいな、なんて思うほど、かわいいのです。
そして10月10日(水)まで代官山のスピークフォーで
大きな展覧会をやっています。
広くておしゃれなギャラリーで見るリスは圧巻です。
絵本も先行発売しています。
お時間あったらぜひ見に行ってやってください〜
最近話題のスポット「代官山蔦屋」の近くです。
どうぞよろしくお願いします!
でもみなさ〜ん!!妹にばかり気を取られないで
たまにはわたしも誘ってくださいね。
秋の風を感じながら代官山のおしゃれなカフェで
お茶でもしたいですね。
鈴虫の音を聞きながら何時間でもぼーっとしたいですね。
想像しただけで、すてき。
すばらしい(妄想の)秋のはじまりでーす!
離愁
みなさん、こんばんわ。
ブログをさぼりつづけて6ヶ月。
もうどうやって再開していいのか分からないわたしを
許してください。
ほんとにお久しぶりです。
時の経つことの早さが信じられませんが、今思うと
この半年じぶんの手に負えない大きなものに執着し
つらかった。
顔もまっくろに日焼けして、ひりひりと痛くてひどい疲労感。
でもこのひりひりがとれるころ、いままでと違う自分に会いたい。
そんなことを思う今日でした。
そして突然ですが、
写真展のお知らせです。
9月9日(日)つまり、なんと明日から!!
赤々舎で写真展がはじまります。
ぎりぎりのお知らせになってしまい、申し訳ないのですが
なんと明日9日6時からはオープニングパーティ!!
つきましては、みなさまお誘い合わせの上
ぜひお越しください。
こころからお待ちしています。
強烈にみんなに会いたい。
藤岡亜弥写真展「離愁」
この度、AKAAKAではNY在住の写真家藤岡亜弥の個展を開催致します。
主にブラジルで撮影されたシリーズ、「離愁」は、2004年にニコンサロンで発表の機会を得ましたが、今回はそれ以降に撮影されたものを多数加え、新たな構成を試みるものです。
作家は、亡くなった祖母が日系移民だったことを知り、初めてサンパウロを訪れました。
もたらされた出会い、ブラジルの大地を彷徨う旅。でもここに立ち上がってくるのは、誰かの物語ではなく、日系移民のドキュメンタリーでもありません。
少しずつ少しずつ写真や言葉を探っていきながら、私たちが向き合うものは何なのか。辿れない距離、手に負えないもの、広大すぎる風景、そして人々の声の断片より成る展示をぜひご覧ください。
会場:AKAAKA 3階
会期:2012年9月9日(日) 〜 9月29日(土) 12 : 00 〜 19 : 00 月・火・祝休
オープニングパーティー:9月9日(日) 18 : 00 〜 20 : 00
離愁
少しの情報と祖母の粉骨を持ってわたしはブラジルに降り立った。
祖母が帰国して60年が経っていた。
サンパウロには祖母が姉妹のようにして育った「文江さん」という幼なじみがいるらしい。その人を頼りにはるばる訪ねてみると、肝心の文江さんはなんと2ヶ月前に亡くなっていた。
あぜんと立ち尽くす私に、日系移民ソサエティの強固なネットワークの助けがあり、祖母が帰国して60年以上が経つというのに、祖母を知るという日系移民の老人たちがぞくぞく集まった。
そこで私を待っていたのは、熱烈な歓迎とわたしの知らない歴史、そして祖国に対する憧れを語り続ける日系一世だった。
遠い国で日本人よりも日本人らしく生きている人々。
その濃密な時間に私は夢中でビデオカメラをまわしていた。
日系移民として20年も暮らしたブラジルは祖母にとって “故郷”だったのだろうか。日系移民にとって日本はいつまでも“故郷”なのだろうか。
ビデオカメラを回すうち、しだいに重い使命を負いはじめているような気分になり逃げ出したくなっていた。
空はただ青く広大だったが、私は憂鬱だった。
バスから窓の外を眺めていると、100年前とほとんど何も変わっていないであろう景色が延々と続いていた。
辿り着いた道
力強くうねる丘
郷愁の花、イペー
飲み込まれていく赤い土
離愁
私は正面から日系移民にカメラを向けることができず、遠くばかりを見てシャッターを切っていたと思う。
私が知ったふりができることはなにもなかった。
ここにある私の憂鬱は、遠い日に祖母もこの土地で感じた憂鬱なのかもしれない。手に余るもの、その憂鬱に身を任せたまま旅を続けることだけが許されたのだった。
藤岡亜弥
展示の詳細はこちらをご覧ください。
https://www.akaaka.com/gallery/g-upcoming.html
AKAAKA (赤々舎)
〒106-0031 東京都港区西麻布1-9-13
tel :03.6434.0636 / fax : 03.6434.0618
)))))))))))) https://www.akaaka.com/
Sayonara Nukes!311
311をどのように過ごしたかといいますと、
私自身、いろいろ考えまして、デモに参加しました。
ニューヨークのユニオンスクエアーからセントラルパークまで
歩くというもの。
100人以上集まって、たぶん4分の1が日本人
だったかなと思います。
ウオールストリートオキュパイにしても、
アメリカはこういうデモが盛んです。
オープンっていうか、慣れてるって言うのか、
歌を歌ったり、演説したり、楽しそうです。
みんなだれのためでもなく自分のためにやっている。
何かを主張するというより、ここに参加することに意味がある、
そんなことを思ったりした3月11日でした。
日本でも昨年、東京の明治公園で行われたデモに6万人が集まり、
流れが変わりつつあると思うけど、まだまだ引っ込み思案な人が
多いのではないか、、と友人も言っていましたが、
(たぶんわたしもきっとそのうちの一人なのですが、)
今回わたしはデモの意義が少し分かったような気がしました。
デモをする人間の心意気のようなもの。
ひなまつり
今年ニューヨークはとても暖かい冬となっている。
友達の話によるとこの10年こんなに暖かかったことはないそうで。
わたしも体がいつもの冬より軽やかな気がしている。
季節はもうすぐ春。
今年もひな祭りがやってきた。
わたしはいまだになぜかひな祭りが大好きで、うふっとした気分になる。
それはきっと小さい女の子だった自分を思い出すからなのか。
ひな祭りにかすかに幸せな思い出があるからなのか。
うちのは小さかったけど、おひな様を出してもらうのが、
うれしかった。
桃の花や甘酒、ぼんぼり。なにか儀式のよう。
このせまいアパートで飾るおひな様はないけれど、
絵を描いてみた。
私は絵が描ける人になりたかったはずが、どこでまちがったかと
つぶやきながら。。。。
大好きな小さな女の子の顔が浮かんできた。
大きくなったかな〜。
リス
ニューヨークに来たころ、公園にリスがたくさんいることに驚いた。
公園に行ってはリスを眺めて観察し、そのしっぽのマジカルな動きに魅了
された。
あるとき、長い間リスに見とれていたら、通りがかった知らないおば
さんに、「リスに恋しているのね」と話しかけられたことがある。
粋な会話の始まり方である。
ニューヨークはこんなふうにフツーに知らない人と会話が始まる。
そして、「日本にはリスはいないのか?」という質問に、
「そうですねえ、公園にはいませんねえ。」と答えると、
「じゃあどこにいるの??」とつっこまれた。
わたしは一瞬考えてしまったが、「やっぱり、動物園かなあ」と答えたら、
とても驚かれてしまった。
公園に行けばそこらへんにいるリスを、動物園に行かなければ見れない
というのは、まるで公園に行けばそこらへんにいるハトを、わざわざ動物園
で見るような感覚なのかもしれない。
3年が過ぎた今でもリスを見るのを飽きることはない。
たまにひとりで公園に行ってぼーっとリスを眺めるのが好きだ。
リスのしっぽは魔法の箒のようで見飽きない。
リスを見ながら、つまらないことをいろいろ考えることもある。
この間ふと考えたのは、
こんな都会の公園にいるリスはいったいどこで死ぬんだろうと
いうことである。
そういえば、鳩が車にひかれていたり、ネズミの死骸をストリートで
見ることはあっても、リスが死んでいるのをわたしはまだ見たことがない。
まあ、どこで死のうがそんなことどうでもいいことなのだけど、、
わたしが思うに、リスは神秘の動物である。
リスといえば、私の妹は東京の西光亭というクッキー屋さんのリスの絵
を描いているのだけど、最近妹を見るたびに思うのが(口には出せないが)
もうつらいほど明らかに妹の体型がリスに似てきたことである。
ただ太ったというだけではなく、なんかリスが取り付いたような体型に
なったのである。
そういえば、猫の小説を書いている人は顔も猫に似てるしなあ。
蛇を飼っている人は蛇に似てくるしなあ。
長いあいだ同じ動物を描いていると似てくるのかもしれない。
不思議だなあ。。
こわいなあ。。
しかし、なにかひとつそういう自分のマスコットというものが
ある人は得だと思う。
このあいだたまたま父のブログをのぞいたら、
こんなブログだった。
>昨日松山に夫婦で行った。
>小物雑貨店でちさにリスのブローチを見つけて買った。
>少し高いけど見栄えが良かったので買った。
>このブローチを何時も胸につけててね。
>パパより
「パパより」というのが、かわいい。
(ブログとメールの区別がまだついていないらしい)
父は、リスの置物やリスのぬいぐるみなどリスのものを見つけると
とにかくなんでもかんでも妹に買ってせっせと送る。
たぶん、リス=妹 というわかりやすい公式が成り立っているから
リスを買えば間違いないと思っているんだろう。
ちなみに、わたしはいままで父からなにか買ってもらったことは
一度もないのでたいへんにあきれている。
話はもどって、西光亭には妹の毎日コツコツ描いた
執念のような努力が実って、たくさんのリスのテーマが並ぶ。
なんといっても中のクッキーがとってもおいしい。
リスのマグカップも出たみたいなので、
リス好きの方、チェックしてみてください。
わたしも欲しい!!
ひとめぼれ
みなさんは「ひとめぼれ」というものをしたことがあるでしょうか?
もうそんな言葉は死語になり、ひとめぼれといえばお米の名前だと
勘違いしている若い人もいるかもしれません。
それに人間というのは年をとるうちに鈍感になりますから、
ドキっとしてもそれがなんだかわからない。
あれ?なんだろう。この気持ち、と思っていても的確に分からず
そのうち忘れてしまうことが多い。
「ひとめぼれ」というのは、奇跡です。
ひとめぼれは、あふれるほどのイノセントな気持ちと
どこから沸いてくるかわからないものに突き動かされることなんです。
しかしそれを感じる能力をもち、じぶんの中で大切にしなければ、
意味なく消えて行くあわのようなものです。
人生でそんな「ひとめぼれ」というドラマに出会えた人は幸運です。
ところで、ここにひとめぼれをしただけでなく、その後勇気を持って
自分からデートを申し込んだことがある人はいらっしゃるでしょうか?
もちろんひとめぼれというのは、「一目で惚れる」ことですから、
相手のことをあまり知りません。
そのあまり知らない相手に、声をかけれる勇敢な人は何人いるでしょうか?
そしてさらに、その後、運良く相手が承諾してくれてデートの運びとなる
幸運な人は何人いるでしょうか?
そしてさらにさらに、その人が自分が思った通りのステキな人で、
そのデートがとてもすばらしかったといえる人は何人いるでしょう。
わたしは、それは全人口の3パーセントくらいではないかと
考えています。
ここで告白しましょう。
わたしは3年前の寒い冬の夜、
その「ひとめぼれ」を体験したたぐいまれなラッキーな人間です。
その人はわたしの展覧会に来てくれて、その日たった10分ほど
立ち話をした程度の人でした。
なにか分からないけど、もっと話がしてみたいと思った私は
なにげにお酒をすすめました。
(そこは、赤々舎というお酒が飲めるギャラリーです。)
「車で来ているから」とあっさり断られましたが、
すかさず、「え?車?どこからですか?」と切り込み、
「ほうほうー、そんな遠くからですか。よかったら
ぜひ、芳名帳にアドレスを書いて行ってください」
と、書いてもらった、その時です。
その人の美しい字とそれを書く姿を見て、わたしははっきり確信しました。
これはひとめぼれなのだと。
そのはじめての気持ちをどうしていいかわからず、
その晩の飲み会でわたしは写真家の殿村任香先輩に思いきって
相談しました。
すると、
「プチポカさん、アンタここでしっかり女になりぃーや。
いっぱつ告白したってや!やらんといかんでしょうー。
うまくいったら電話してや。合い言葉は「キョーザ」やで〜」
と完璧でほれぼれする関西弁でアドバイスを受けました。
(いまだになぜ合い言葉がギョーザなのか分かりませんが、)
そしてそのアドバイスにしたがって、わたしはその夜その人にさっそく
メールを出しました。
しかも、わたしは初めてのメールで「こんどお茶しませんか」
などという曖昧なことばでなく、
「あと1週間のうちにわたしとデートしてくれませんか」
という脅迫のような告白をしたのです。
わたしはたぐいまれな暑い、熱い人間です。
あと一週間の命だ、、そんな切羽詰まった感があらわです。
お相手もさぞかし驚かれたでしょう。
「。。。」
その後どうなったかと言いますと、わたしはその人と
初々しい静かなお正月デートをすることができました。
明治神宮に行って、おみくじひいて、六本木まで歩いて
ごはんを食べてたくさん話をして帰りました。
わたしよりもずいぶん年下なのに、きちんとはなしができるし、
感覚のいい、頭のいい人なんだなという印象。
わたしの突然、かつ強引な申し込みに気持ちよく答えてくれたその人に
とても感謝しました。
それはアメリカに旅立つ1週間前の出来事でした。
この一度きりのデートの思い出が、今でも私をうす桃色の
気分にさせやさしい気持ちにさせます。
そしてその人からたまにもらうメールにいつも静かな元気と勇気を
もらいます。
あわい。。。それがとてもいい。
こういうのは、とても特別です。
で、何が言いたいかと言いますと、
みなさんもどうかひとめぼれをしてみてください。
恥をかきすてて!
ひとめぼれという奇跡にむかって、チャレンジしてみてください!
それはのちにあっけなく玉砕すること間違いないでしょう。
しかし、それは「生きている」という熱い気持ちを思い出さ
せてくれる大切な経験となります。
まずなにより、そんな一生懸命で無謀な自分がとても
いとおしく思えてくるはずです。
自分のことが、とても愛おしくかわいいと思えたとき
人間はやっと前に進むことができるのではないか、とわたしは
考えます。
「恋せずば人は心もなからまし物のあわれもこれよりぞ知る」
(藤原俊成)
そういうわけでずいぶん遅れましたが、この場をかりて殿村先輩に
お礼を申し上げます。「ギョーザーーーー!!」
Happy New Year!
自分の2011年を振り返ると反省ばかりである。
意志が弱くてなにも成し遂げられなかった な。
小さなことも自分を甘やかしてやり通せなかったな。
惰性の一年だったと反省をしながら大晦日を迎えた。
そこで、
意志を強くするために、大晦日の朝買ったもの。
シューズ 89ドル
そして大晦日の夕方、突然手に入れたもの。
ゼッケン 55ドル Tシャツ付き
どっかーん!!
ニューイヤーズイブ ”ミッドナイトラン in セントラルパーク!!”
日付が変わるとともに打ち上げられる花火を合図にスタートする
大晦日恒例の4マイルマラソン。
新年の決意をこめて、なんと(走ったこともないのに)
いきなり走りました〜
走ったことがないので4マイル(5キロ)がどれくらい大変なのか
検討もつかなかったが、ビリでもいいからとにかく走り抜こうと決意。
その日シューズを買ったばかり、一度も練習をしたことないのに、
だいじょうぶなんだろうかと、とても心配だったが
これは参加することに意義があるのだ。
記念マラソンなんだから。
でも、ふたを開けてみればそこには似たような人がいっぱい。
自分はビリじゃあないかもしれないという希望が!
なかにはこんな人も。
というか、こんな人ばかり。まるで仮装大会。
わたしもささやかに仮装して走ったが、
ささやかすぎてなにか分からない人もいるかもしれないので、
思いきって言うと、
これは「自由の女神」です。
途中でシャンパン(ノンアルコールだけど)も振るまわれたりもして
初詣のとき神社でもらうお屠蘇みたいな気分。
たった5キロをゆっくり一時間近くかけて走ったわけだが、
ゴールした時はやはりとても感動した。
大声援の中、よし、ニューヨークシティマラソンも夢じゃあない!!
と叫んで、自分に酔ってしまった。
ランナーズハイってほんとうにあるんですね〜。
走らないとわからないんですね〜。
この高揚感が人をランナーにさせるのだろう。
「走るのなんて体に悪い」と走ることをバカにしていた自分は
もう別人だった。
そして完走してもらった副賞がこれ。
ベーグルとアップル。
いかにもニューヨークらしい。
走ったあとこういう固いものを食べたい気分ではなかったが
まるいのと、赤いのともらうなんて縁起がいいじゃあないか!!
日本だったら、あま酒とお餅だろうなあ、、
もちろん湯気がのぼっている。いいなあ。
目をつむって遠い日本に思いを馳せた。
次の日は、全身筋肉痛でがたがたの体をひきずって、初日の出。
強烈な太陽の光を見たら、おみくじで大吉をひいたような気分になった。
毎朝これくらい早く起きて日の出を見るべきなのかもしれない。
昼にはものすごい自己流のお雑煮。
夜はいつもお世話になっている長倉さんちでおせちをごちそうになった。
おかげでさみしくなかった。
あたたかくて充実したお正月だった。
みんなが元気でいい一年になりますように。
今年もどうぞよろしくおねがいします。
年の瀬
日本ではこの時期「今年もたいへんお世話になりました」とか
「良いお年を」というフレーズを何度言い合うだろう。
実はわたしはこのセリフがあまり好きではない。
これを言うとき、なぜか胸がざわざわしてしまうから。
わたしはいつもこの気持ちをもてあましながらこれに返事する
のだった。
日本にいるとお正月前後はいろんなことで仰々しい気持ちになるのだが、
今年も日本にいないので師走のざわざわ感があまりない。
去年はそれにほっとすることもあったが、今年はなんだか
ムードがないと引き締まらないなあ思ってしまった。
この時期アメリカでいつもなにに感心するかと言えば、
ここには年の瀬が迫った感がなく、新年に対する緊張感がまったくないこと
である。みんな楽しいクリスマスホリデーに持っていかれて、
きのうも友達に「日曜日ヨガ行くの?」と聞かれた。
ヨガだってあいている。(でもわたしは1月1日からヨガには行く気はない)
来年の干支のだじゃれを考えることもなく、年賀状も書かず
帰省ラッシュの新幹線に乗ることもなく、ゆく年来る年を見て神妙な気分
になることもない。初詣にもいかない。
新年の目標を立てるのも忘れてしまいそう。
今年もそんな気合いの入らない年の瀬を迎えている。
と、なんだかいきなり日本の正月がとほうもなくなつかしくなって
ひとりでせっせとおせちのメニューをネットでリサーチしてしまった。
実家でお正月を過ごしたのは2年前だがそれがずいぶん昔のように感じる。
日本の正月らしい正月。おせち食べてこたつでごろごろしたくなった。
100%日本人の自分を確認。
離れているといっそうじぶんの中の日本を自覚するのかもしれない。
新しい年を迎えるのもまずは形から、というわけで
きょうはまるい餅を買いに行って、新年はお雑煮を作ろう!
明日はそばを食べながら、今年を振り返えろう!
そしてぎょうぎょうしく来年の抱負も考えたほうがいい!
初詣に行く人はどうかにわたしのぶんまでお願いします。
みなさん今年もたいへんお世話になりました。
来年も(明日も)どうぞよろしくお願いします。
藤岡亜弥