1998年の冬にエストニアからヨーロッパの旅が始まった。
エストニアに降り立ったときのあの冬の銀河鉄道のような
感覚をわたしはまだ忘れていない。
一年半のあてのない旅だったが、それがのちに「さよならを教えて」という
写真集になった。
そして再びエストニアに降りたったのは2009年の夏だった。
10年ぶりの街。友達との再会。なんだかとても照れくさかった。
話したいことはいっぱいあったはずだけど、
お互い言葉にしなくてももう勝手に了解していて、
一緒に過ごすだけで十分だった。
10年の間に何が変わったのだろう。
エストニアの通貨はユーロになり、あれだけ仲良かった友達夫婦は離婚して
それぞれまた結婚して子供を作って別の家庭をつくっていた。
「いいねえ、あなたは全然変わらない」とうらやましがられたが、
(よくないよ!!)
二人は昔も幸せそうだったけど、いまもそれぞれ幸せそうだった。
そのふたつの家族にとても大切にされて、わたしも幸せだった。
「ここはあなたの家でもあるのよ」
と言われて不思議にほんとうにそんな気もした。
わたしにとって特別な場所。
長く静かにあたためられた友情、きずな、信頼。
その友達のお父さんはエストニアの有名な画家で、
10年ぶりにアトリエに行ったら、ちょうど絵画教室をやっていた。
いきなり「(こんな美しい)アジア人をエストニアで見るのはめずらしい。
エキセントリックなヌードを描く練習にもなるからモデルをやって
くれないか」と頼まれた。
エエ!そんなきゅうに!?!
でも、これはアートなんだから。
と言い聞かせ、わたしは一肌脱いであげることにした。
ここで恥ずかしがったら、女がすたりマス。
平静を装ってささっと服をぬいだら、なんかお父さんがやたらテンション
高くなって、「ムードがある!ムードがある!」とうれしそうに連発した。
そのときに私はハっと気づいた。
わたしはお父さんの言った “エキセントリックなムード” を
“エキセントリックなヌード” と間違えて、勝手にヌードになって
しまったのだと。
「。。。」
いまさら服を着るわけにはいかない。
でも、まさか頼んでもないのに脱ぐと思わなかっただろうから
みんなびっくりしただろうなあ。
そこからわたしは3時間裸のまま不動だった。
生徒さんたちが上手にムードのあるわたしを描いてくれてうれしかった。
そしてなぜかみんなが絵にサインをしてほしいというので、
なんだかよくわからないけど、サインしてあげました。
「藤岡亜弥。。。」
そう言うわけで、初ヌードモデルの思い出写真もふくめ
トップページを更新しました。 30枚のスライドショー。
夏のエストニアのシリーズです。
あやちゃん、私ってエストニアっていう国知らなかった~。
何だか行ってみたくなったよ。
それより、ここ最近ブログの更新がすごくない?
この調子でがんばってね~♪
夏の宴会の集合写真をこの前もらったよ。みんなとってもいい顔してて・・・・
また集まれるのを楽しみにしてるからね~。