また一日を無駄に過ごした。
完璧な二日酔いである。
ゴロゴロしている最中は、それでいい、それしかないと思っているのだけれど、
日が暮れてもまだパジャマの自分に気づいたとき、もう一度この一日を、
というより、もう一度この人生をやり直したいという気分になる。
その日も天気もいいのにゴロゴロして、ちゃんと起きたのは夕方5時だった。
もそもそと1階へ降りると、なにやら盛大な宴会のようなものが始まっていた。
「あ、お姉さんおはようございま〜す!さあさあ、お姉さんもこちらへ!」
と勧められるまま箸を持たされ座敷へ。
「きょうは「ふく」づくしでございます。ふくふくとお召し上がりください」
と言われ目の前を見ると、フグの唐揚げからはじまり、昆布締めが来て、
ポン酢にフグの皮、うすーく透き通ったフグのお刺身が青磁の皿に
花びらのように美しく盛りつけられて、
手元にはもちろん紅葉おろしがあった。
驚いてこれは夢かしらと思っていると、
中央には湯気が立ちのぼってきらきら輝くふく鍋があった。
それは「どうぞしゃぶしゃぶして召し上がってください。」
と言わんばかりであった。
まずはおビール?と聞かれたが、いえいえわたしは病みあけなので昆布茶で、
と言ったはずなのに、
なぜかそれがいつのまにか熱いひれ酒にすり替わっていた。
それはキツネに騙されたような気分だったが、もう遅かった。
不覚にもまた盛り上がってしまったのであった。
またどんちゃんさわぎである。
そこには女が5人いたと思う。
しかしどうやっても会話的にはおじさん5人の会話だった。
気をつけなければ、、、
静かに聞きつつ背筋の伸びる思いであった。
次から次へと料理が来て、えんえんと飲んで、えんえんと食べ続けた。
そんなこんなで次の朝起きてゴミを出すとき、やっと我に返るのだった。
考えれば、絵に描いたようなぜいたくな話である。
昨日食べたのはもしかしたらフグではなかったのかもしれない、
と飲み過ぎた朝にふと考えたのはわたしだけだろうか。
キッチンはみごとに美しくかたづけられ鍋もきれいになっていた。
さすがみんな宴会が好きなだけある。最後まで抜かりなく美しいのである。
そしてさらに疑うのはその酒量である。
そこには空になった一升瓶があった。
それだけではない。高清水の濁り酒も、そして勝駒という高級な大吟醸まで、、、
ぜんぶ空である。
うーんとうなっていると、ビールの空き缶が9本も出てきた。
信じがたい。
そしてわたしはキツネの恩返しという昔話を思い出すのだった。
キツネを助けた貧乏な百姓が、ある晩夢のような御殿でもてなされて
飲めや歌えのいい気分を味わうが、朝起きると、畑のあぜ道で寝ていただけ
という、せつない一夜の夢の物語である。
夢で酔い、女5人のフクを願ったしあわせな一夜であった。
(できれば私が二日続けて飲み過ぎたことも夢であってほしい。)
日本酒と言えば、先日仙台のShizukkuというフリーペーパーから
日本酒をテーマに日本酒の魅力をアートに表現して作品を制作提供してもらえないかという
依頼があった。謝礼が「一升瓶 1本」ということで、
もちろんやりました。
ただいま開催中。
https://yaplog.jp/art_standard/archive/302
この作品のアイデアはどこから来たかと言うと
我が家に飾られている書である。(妹が書道教室で書いた)
「ひれ酒に すこしみだれし 女かな」
という小林朴亭の句で、これに触発されてできた作品なのである。
そう、女はすこしみだれる(あくまでひらがな)くらいがいい。
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