台湾人生というドキュメンタリーを観に東中野ポレポレに行く。
それもはりきって自転車で行ったためさんざん道に迷う。地図で見たらまっすぐ
行って右に行くだけのはずだったのに、そういうところでわたしは、裏切らない。
クタクタになってやっと到着。ギリギリになちゃった、と汗を拭きながらチケッ
トを買おうとしたら、台湾人生は1週間前に終了していた。
ここでもわたしは裏切らなかった。唖然。。。
どうしてもこのまま帰りたくないのでしょうがなく「美代子阿佐ヶ谷気
分」といういかがわしいタイトルの映画をひとりで観ることに。
しかしこれが思いがけず懐かしさを誘ういい映画であった。
そう、時代はガロであり、ガロは文学であった。(とはいってもわたしはこの時
代にはまだ生まれていないけど)
映画を見ながら、時代の空気感というかなんというか、わたしはこれに似たやる
せなさと、なぜかたたみの匂いを思い出していた。
それはあや子江古田気分という時代だった。
わたしは冴えない日芸生で、江古田というイモくさい町に住んでいた。
木造2階建て古い一軒家の8畳ひとまが私の宇宙だった。もちろん風呂はない。
板の間を改造してつくった1畳半の暗室がわたしの自慢であった。
下には82歳の上品なおばあちゃんがひとりで住んでおり、毎月おばあちゃんに
家賃を持って行く。家賃はとなりの駐車場より安かったと同じくらいだったと思
う。一つ屋根の下で、赤の他人である82歳のおばあさんとの暮らしは8年間も
続いた。
「わたしこのアパートで幸せ。平和よ。わたしたちだけ幸せならそれでいいじゃ
ないの。」と言ったかどうかは覚えていないが、わたしは一度も普通の学生の普
通のアパート生活に憧れることはなかった。
この漫画(=文学)にもなりそうなシチュエーションを誇りにさえ思っていた。
なんといったて、わたしは芸術家を目指していた(=頭がおかしかった)のだから。
つづく