わたしがNYに住みはじめたのは3年前の10月だった。
もうNYにきて3年目なのに、なぜこの光とこの空気がこんなに新鮮なんだろ
うと不思議に感じていたら、去年も一昨年もわたしはこの時期をNYで過ご
していないことに気づいた。
この10月の光は三年ぶり。それはなにかが特別で、この光のおかげで
いまわたしは来たばかりのころの新鮮な気持ちを思い出している。
公園でリスが走り回っていることにさえ驚いてそのくるくる動くしっぽに
長い間見とれて、ケラケラ笑っていたあのころ。
落ち葉が夕日にキラキラ舞うのを見て、簡単に胸が苦しくなったあのころ。
なにもかもが新鮮で、なにも勉強しないおバカさんだったけど今考えると
それは「青春」と呼べる時間だったと思う。
三年前、NYで一年間暮らし写真をすることを許されたわたしは、その
目的に反して、このNYでの一年が、できればいっそのこと写真でない別の
才能が自分の中にあるかもしれないという発見の旅になりますようにと
願った。
写真は自分の肩に重いといつも思っていたからだ。
写真でないものにすべてを期待したわたしだったが、結局どこにも隠れた
才能は見つからず、やがてなにかをまちがえますます不可解な写真の
ドロヌマに入ることとなった。
写真は真剣にやろうと思いはじめたとたん裏切る。
なんでいつまでたっても写真がうまくならないんだろうと思うたび、
またもやなにか別のことにチャレンジしたほうがいいのではないか、
なにかもっと上手にできることはないのだろうか、
とまたそんなことを考えるのだった。
思えば三年目の今年はのほほんとリスに見とれ見えないものに希望を抱いて
いた一年目には気づかなかったことがいっぱい。
このアメリカという国の社会のメンタリティを学習したり慣れることで
精一杯で写真どころではなかった。なにを相手にか分からないけどずっと
戦ってきた気分。疲れたなあ。
それはもしかしたら自分の中の日本人というものと戦った一年だったかも
しれない。写真をやってもやらなくても人生はたいへんなんだ。
こうして自分の3年を振り返ったり、これからのことを考えたり
しているうち秋は深まった。
美しい10月を惜しんでいるうちに、気がつけば11月。
ハロウィンが終わり、ニューヨークシティマラソンが終わり、
そして夏時間から標準時間に戻り、本格的な冬の到来。
深まる秋にふくらんだ夢は、
①「来年のハロウインには勇気を出して仮装に参加する。」
②「いつか日本の旗のついた帽子をかぶってNYシティマラソン
に参加し、テレビにむかって笑顔で手をふる。」
③「結婚でもして新しい才能を見つける」(妹からの提案)
三つとも一人でやったら寂しいけど、だれかと一緒にやったら
楽しそう。
①も②も独りでできるよ。
やっちゃいな!
そしたら③につながるかもよぉ~