パンクロックと深夜食堂

10月のNYは美しい。

秋が深まって行く。

公園のベンチに座って世を眺めていたら、気分は100%松田聖子。

「秋色の汽車に乗って海へ連れていいてよーほかに人影もないよー」

と、声を出して歌ってみたら、情感がありあまって涙が出そうになった。

ぐっとこらえて、その瞬間、ホームシック気分マックス!

こんなとき、なにも考えないためには、歌いつづけるしかないよー。

そんな夜、ライブに誘われた。

それもパンクロック。

ハロウィンが近いせいもあって、ライブハウスはドラキュラのやかた風。

そしてパンクロックのボーカルは太ったドラキュラという感じだった。

革ジャン脱いでタトゥと大きなお腹を見せながら、血管が切れそうなほど

叫んでいた!そしてジャンプ!そして、転んだ。

デブで年寄りのパンクロッカーがいてもいいんだなあ。

あまりにもいっしょうけんめい好きなようにやっているので、感動した。

血と闇の叫び。そのロックンローラーは

かっこわるくてもいいじゃあないか!デブでなにがわるい!

自分が好きならいいじゃあないか!と叫んでいるのかもしれなかった。

命をふりしぼって生きている感が伝わってよかった。

ロックンロールも、たまにはよし。

それから家に帰って、ルームメイトと深夜食堂ごっこをした。

(最近はインターネットで日本のドラマにハマっていて、

日本のドラマを見ながら夕食が日常になりつつある)

気分はパンクからすっかり演歌。そして見よ。完璧な日本食。

日本のドラマなんてひさしぶり。

見終わったあと軽くほっこりしたので深い意味もなく、

いつか深夜食堂のような写真を撮りたいと言ったら

ルームメイトがえらい感動してくれた。

それはどんな写真かというと、

銀色のさんまの匂いがしそうな、赤いたこウインナーのような、

卵焼きの黄色のような、写真。

食べ物に思い出がつきまとうというのはなんだかいいよね。


2011-11-11 | Posted in BLOG6 Comments » 

 

トップページ更新しました。

1998年の冬にエストニアからヨーロッパの旅が始まった。

エストニアに降り立ったときのあの冬の銀河鉄道のような

感覚をわたしはまだ忘れていない。

一年半のあてのない旅だったが、それがのちに「さよならを教えて」という

写真集になった。

そして再びエストニアに降りたったのは2009年の夏だった。

10年ぶりの街。友達との再会。なんだかとても照れくさかった。

話したいことはいっぱいあったはずだけど、

お互い言葉にしなくてももう勝手に了解していて、

一緒に過ごすだけで十分だった。

10年の間に何が変わったのだろう。

エストニアの通貨はユーロになり、あれだけ仲良かった友達夫婦は離婚して

それぞれまた結婚して子供を作って別の家庭をつくっていた。

「いいねえ、あなたは全然変わらない」とうらやましがられたが、

(よくないよ!!)

二人は昔も幸せそうだったけど、いまもそれぞれ幸せそうだった。

そのふたつの家族にとても大切にされて、わたしも幸せだった。

「ここはあなたの家でもあるのよ」

と言われて不思議にほんとうにそんな気もした。

わたしにとって特別な場所。

長く静かにあたためられた友情、きずな、信頼。

その友達のお父さんはエストニアの有名な画家で、

10年ぶりにアトリエに行ったら、ちょうど絵画教室をやっていた。

いきなり「(こんな美しい)アジア人をエストニアで見るのはめずらしい。

エキセントリックなヌードを描く練習にもなるからモデルをやって

くれないか」と頼まれた。

エエ!そんなきゅうに!?!

でも、これはアートなんだから。

と言い聞かせ、わたしは一肌脱いであげることにした。

ここで恥ずかしがったら、女がすたりマス。

平静を装ってささっと服をぬいだら、なんかお父さんがやたらテンション

高くなって、「ムードがある!ムードがある!」とうれしそうに連発した。

そのときに私はハっと気づいた。

わたしはお父さんの言った “エキセントリックなムード” を

“エキセントリックなヌード” と間違えて、勝手にヌードになって

しまったのだと。

「。。。」

いまさら服を着るわけにはいかない。

でも、まさか頼んでもないのに脱ぐと思わなかっただろうから

みんなびっくりしただろうなあ。

そこからわたしは3時間裸のまま不動だった。

生徒さんたちが上手にムードのあるわたしを描いてくれてうれしかった。

そしてなぜかみんなが絵にサインをしてほしいというので、

なんだかよくわからないけど、サインしてあげました。

「藤岡亜弥。。。」

そう言うわけで、初ヌードモデルの思い出写真もふくめ

トップページを更新しました。 30枚のスライドショー。

夏のエストニアのシリーズです。

藤岡亜弥ホームページ

https://ayafujioka.net/

2011-10-04 | Posted in BLOG14 Comments » 

 

メコちゃん

いろいろ考えなくてはいけないことは多いが、

日本に帰って一番良かったなと思ったことのひとつは、

やはり家にカメがいたことではないかと思う。

そのカメの名をメコという。

メコはペットショップに熱帯魚を買いに行った妹が、「これ6000円だけど

お姉さんだったら1200円にしてあげる」と言われて買ってしまったカメ

でだそうで。(その値下げ率は、なんだろう。。)

最初は、カメキチというどうでもいいような名前をつけられていたのだが、

広島に帰っているあいだ、となりの奥さんのうちに預けていたら、

メコちゃんという名前に変わって帰って来た。

人のうちに預けたら自分の子供が違う名前になって帰ってきたという

こんな変な話を聞いたことがあるだろうか。

しかし、メコと名前が妙にしっくりきていて、かわいかった。

(メコはミシシッピにおいガメといって水の中で暮らす小さなカメです。

これから50年から60年は長生きするそうです。

付け加えると、メコはなかなかのおじいちゃん顔ですが、

女の子であることが発覚。

さらに言うと、エサをお箸から食べます。エラい!)

メコはわたしが帰国するなり、初めて見るわたしをお母さんだと勘違いして

手足をバタバタさせて喜んだ。

そしていつも水槽の中からわたしのことを目で追っているのだった。

わたしはほだされて、メコのお母さんになってあげてもいいと思った。

それ以来、メコとわたしのお母さんごっこが始まった。

「ただいま〜メコちゃん。おかあちゃまだよー。んまんま食べようね〜。」

メコと目が合ってお互い笑みがこぼれる。

私の至福のときであった。

もし、メコさえよければ、わたしは胸の谷間にメコをそっと入れて

近所を散歩したり写真展にも連れて行ってあげたかったけど。。。

メコは長時間の乾燥が苦手である。

またメコ自身も実際自分のことを人間だと思っているようなふしがあった。

ある朝、水槽にメコがいなくて大騒ぎしたことがあった。

メコが脱出をはかったのである。

(ふたをするのを忘れたのは私である。)

妹が「おねえちゃん!!メコが見つからんかったらどうするんね!!

甲羅が割れとったらどうするんね!!カラカラに渇いて出てきたら

どうするんね!!!」と恐怖の声をあげたので、

わたしは大きく動揺してしまった。

「メコちゃん〜どこー!!!」

テレビをずらしてみたり、布団をめくってみたり、ソファーの下に入って

みたり、妹と必死に探しまわって一時間後。

台所の下のたまねぎのその奥からほこりまみれになって出てきたメコ。

「心配したよー。メコ〜よかったー。」と顔を見たら

その姿は戦いに疲れたぼろぼろの落ち武者のようであった。

まさに「トホホ」と言っているような顔。

とてもまぬけだった。そして、、、かわいかった。


「やれやれ。もうぜったいだめよ!」と言って水槽にふたをして

その後、わたしたちは一息ついてコーヒーを飲みながら、

「考えてみたらメコだってずっと水槽の中はいやよね。

水槽からふんばって這い上がって、床に落ちて、、、、

それでも外の世界を見てみようとしたメコはエラいね。。

チャレンジ精神があるね!!!」と

しみじみメコのガッツを褒めたたえたのだった。

親バカだなあ〜。

そしてなぜわたしがきょうメコのことを書きたくなったかと言うと、

昨日、メコが水槽から落ちても痛くないようにと、水槽のまわりに

豪華なコブラン織のクッションをせっせと敷き詰める夢をみたからである。

自分はマジ母であった。

メコちゃん、お母さんはいまニューヨークです。

つらいけどあなたのためにがんばって働きます。

だからあなたもお元気で。

また手紙書きます。(……..今そんな気分)

2011-09-30 | Posted in BLOGNo Comments » 

 

反原発デモ@NY

原発のことをニュースで見るたびに、

わたしは日芸の同級生だった中西君のことを思い出す。

もう20年近くも前から彼は原発に問題意識を持ち

原発のある風景をテーマに写真を撮っていたのだった。

それは一見のどかな風景。

その風景に潜むあやうさ。奇妙なバランス。

声高ではないけど、きびしい目を持った彼の真摯な

ルポルタージュが忘れられない。

今、ニューヨークでは国連総会が開かれていて、

日本の野田佳彦首相らが参加している。

それに合わせてニューヨーク州にあるインディアン・ポイントの

原発の停止を目指す団体などが企画して

『被災状況に関する米市民向けの報告会」を開き

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」

に所属する佐藤さんらが日本からやってきて

福島の状況について集会で生の声を伝えたり

国連の前で反原発のデモ集会を開いた。

その集会にわたしも参加。

集会では、耳を疑うような日本の政府のやり方が

暴露されて、あきれるというよりとにかく

恥ずかしかった。それ、わたしの国ですか?

国連前のデモでは、「国連は原子力の促進をやめろ!」

「野田首相は国連で本当のことを語れ!」

「スリーマイル島で起き、チェルノブイリで起き、

福島で起きた。次はどこだ!」と訴えたそうで、

その後、野田首相が会食をしているビルの前でも

「もっと日本の子供のことを考えてください。

もっと福島のことを考えてください。そして世界中の子供のこと

を考えてください。7代先の子供を考えてください。今、21世紀の

大人が原発を推進したら、7代先、10代先、10万年先の子供たちが

生きていられるかどうか分からないという大事な選択をできるのは、

今、あなた、野田首相しかないんです。お願いします。

原発を止めてください。

と命がけのような声が響き渡った。

https://www.youtube.com/watch?v=FtKazfbJrIo

この絶叫を聞いて、わたしはいつまでも鳥肌がおさまらなかった。


風評被害も問題になっている。

オーバーリアクションはしたくない。

でも日本には故郷をなくしてしまった人もいるのだ。

原発は危険であると世界中がもう気づいている。

そしてそれを日本が一番良く知っている。

2011-09-28 | Posted in BLOGNo Comments » 

 

更年期とソーダ割り、と黒田さん

ある朝、目が覚めたら、目が回って、あれれ?

という変な気分になった。

そして、 もう一度立ち上がろうとすると

またぐわんぐわんする。気のせいではなかった。

この得体の知れない体調不振に恐怖を覚えた。

決して気持ちが悪いのではない。ただ目が回るのである。

そしてだるい。そして顔が青い。

この症状はどこかで聞いたことがあった。

まさか、更年期と言われるものではないだろうか、、、(もちろん若年性)

いや、もしかして名前も知らないこわい病気だったら、、、

病院に行くのがこわい。 病名を知るのがこわい。。。

でもとりあえず赤々舎に行かなければ。

お客さんが待っている。

と、ぐるぐるするのをがまんして、わたしは赤々舎に急いだ。

電車の中でわたしは前の日のことを思い出そうとしていた。

前の晩、わたしは赤々舎で写真家の黒田光一さんと頭山ゆう紀さんと

松本君で、飲んでいた。(話題は主にコイバナだったはず)

焼酎1本と、ホッピー。

(*これがいちばん安上がりに飲む方法だそうです)

「あれくらいで二日酔いになるわたしではないはずだが、、、」

「こんな症状ははじめてだし、、、」

と、そのとき、気づいた。

きのう、そう、焼酎がなくなったとき、黒田さんに、日本酒のソーダ割りを

薦められたことを。

黒田さんは、「実際いまこういうカクテルが流行っている」

と得意げだったが、それはそこにいるみんながはじめて飲む飲み物だった。

そして味は、なにかが足らないような、パンチのない味であった。

それはそうだろう。日本酒を炭酸水で薄めて飲むんだからぁ〜!!

まさか、この体調不良はあの日本酒のソーダ割りのせいだったのか?!

このめまいが、若年性更年期ではないことがわかったとたん、

心のくもりが晴れた。そしてすぐ二日酔いの薬を飲んだ。

みなさーーん!!

日本酒のソーダ割り、

かなり危険です!!


黒田さんと飲むときはこのように深いため、すでに「竹馬の飲み友」の

ような気分ではあるが、実は黒田さんと一緒に酒を飲んだのは、まだ2回。

でも黒田さんにはいつもお世話になっていて

今回の展示設営もパーティもふらりと来て手伝ってくれた。

黒田さんはひょうひょうとしているが、なにかと心遣いがきめ細やかで、

心持ちがよくて、“だまってエプロンをつけたお父さん”のように頼もしい。

私が信頼する写真家のひとりである。

そういうわけで、急きょ(なにもかも急きょ)

展示の最終日に、姫野さんと黒田光一さんと3人で夢のトークショーが実現した。

赤々ギャラリーの最後ということもあって、

たくさんの人が来てくれた。

打ち合わせもなく、まるでそれが当たり前のように三人ともお酒を

片手に会がスタートした。

3人でほろ酔いのトークショーはとても楽しかった。

よく考えたら黒田さんと写真について語るのは初めてなのであった。

黒田さんのモツ煮に対するこだわりを見ても分かるように、

そこには女にはわからない美学がある。

それは最大のロマンを秘めた「弾道学」であり、「男道学」でもある

と思うのだ。 だからこそ、黒田さんの視線は女々(めめ)しい。

(これはモツ煮の話じゃなくて写真の話でした)

つまり、美学もロマンも女々しいも、男に使われる言葉なのであり、

わたしにはさっぱりわからないのである。


最近私は、すごく女性らしい心を持った女の人が、自分のことを「オレ」

というのを聞いて、美しすぎたり、弱すぎたり、やさしすぎたり

純粋すぎたり、というのは、それを隠すためにいっしょうけんめい

にならなければいけないのだなとふと思ったことがあったのだけど、

黒田さんの写真を見てても思う。

この人の写真がまっすぐに見えないのは、まっすぐなのを隠しているから?

さて、こんなことを言ったら黒田さんはどういうでしょう。

「いやあ〜ハズレだね」とかなんとか、言いそうです。


トークショーでは、いろんなこと学んだ。

姫野さんも黒田さんも純粋で感覚がとてもするどい人で

さしぬきならない。

そしてロックンロールというよりピアノ狂想曲のような情熱がある。

来てくださったみなさんもあたたかかった。

わたし以上にわたしの写真を真剣に見つめてくれている人がいる。

だからわたしもいつも背筋を伸ばしていたいと静かに熱く思ったのだった。

最終日、こんな気持ちを持ててうれしかった。

ありがとうございました。

2011-09-24 | Posted in BLOGNo Comments » 

 

写真展 “Life studies”

思えば、1年半ぶりの日本であった。

日本に帰るにあたってわたしにも大変な思い入れがあった。

震災後たぶん海外に住む多くの日本人はそうだったろうと思うけど、

言葉にできない気持ちを抱えてうろうろするだけだった。

日本に帰ったとき、わけも分からずほっとしてうれしかった。

ふと、ずっとここにいたいと思ってしまった。

母国って、そういうものなのかもしれない。

そして我が家は、グリーンのカーテンだった。それもよかった。

朝の机と窓

帰国して思いがけずすぐに写真展が決まった。

それはとてもうれしいことだった。

しかし、

それを聞いた赤々舎のスタッフのだいちゃんの顔はこわばっていた。

松本君は言葉を失っていた。

話が決まってからオープニングまで10日もない、という驚異の突然写真展

だったからである。

わたしだってほんとうにできるのか考えると、ゾクゾクして眠れなかった。

そして、現実逃避とも思われる行動、「なんで、こんなときにいま温泉?」

というたぐいの信じられないこともやった。

まわりのみなさんもあきれたことだろう。

いまだから言えるが、写真展がなんとかなりそうな気配がしたのは、

オープニング当日の朝4時55分だった。

写真展につける短編の文章が最後まで書けず、七転八倒。

ギリギリでなんとか書き上げた。

まさに「綱渡り」という言葉がぴったり。

朝、化粧もしてない、着ていく洋服がない!とイライラしていると、

一緒に住んでいる妹はもっとイライラしていた。

「やればできるんじゃない。なんでもっと早くやらないの!!」と

すごく褒められて、どつかれたのでわたしは涙目になった。

お弁当と歯ブラシを持たされて、わたしは無言で、ダッシュ!

貫徹のままオープニングパーティ。

予定帳にあった午前中美容院の文字をあとで見て、悲しかった。(泣)

赤々舎のスライドショーにも参加させてもらったときも同じような

状態だった。前日徹夜の綱渡り。。

『なんでもっと早くやらない!!』

遊びに行く前にやればよかったのでは?とか、

のんびりしているからもうできてると思ったとか、

それぞれ言いたいことはいっぱいあるでしょう。

それはわたしもよく分かっている。

パーティで友人たちが「やったあやちゃんもすごいけど、

あやちゃんにやらせた赤々舎はもっとすごい!」と、みんなとても

楽しそうに感心していたのが印象的である。

こんなわたしを信じて写真展をやらせてくれた姫野さん、そして赤々舎の

スタッフのみなさんほんとうにありがとうございます。

関係ないのにいきなり手伝わされた人もいます。黒田さん、菊地さん、

みきちゃん、柏崎さん、ほんとうにありがとうございました!

みなさんのおかげで、わたしにとってとても大切な写真展になりました。

今回は、NYでのシリーズ“Life Studies”と20年前の江古田での生活を

まとめた “アヤ子江古田気分”という謎のシリーズ、

そしてライフワークである「手」のシリーズの三本立てだった。

NYのシリーズは、肩の力を抜いたままこれからもっと自由に

広げていけたらいいなと思っている作品。

江古田のシリーズは、正直言ってまさかこうやっていまごろ作品となって

世に出るとは思ってもいなかったので、どうなるか自分がいちばんドキドキ

だった。当時のわたしの生活を知る大学時代の仲間がやって来ては、

なつかしい!!この部屋!と叫んでくれたのがうれしくて

まずはそれだけで大満足。

青くさい大学時代。東京での一人暮らし。未来。希望。不安。そして写真。

すべてここから始まった。

そして、スライドショー。

さよならを教えての番外編。アナザーカットも半分入れて

新しい「さよならを教えて」ができた。写真は自由である。そうでしょ?

観客の一員となって自分のスライドショーを見た時、

うっとりしてとても幸せな気分だった。

見に来てくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。

黒田さんとやったトークショーのことなどもまた書きます。

2011-09-19 | Posted in BLOG2 Comments » 

 

Life Studies

みなさん、お元気ですか?

ご無沙汰しています。(なんちゃって^^)

久しぶり過ぎて、はずかしくてもう何も言いたくない!

なにげなくブログ再開させてください。

ひさしぶりの日本は、なんかいい感じです。

今日23日(土)から写真展が始まります。

オープニングパーティは19時から。

いつものようにバタバタ、、、ふわふわしてる。

どうなるんだろう。こわい!!

だって、「アヤ子江古田気分」も出すんだから!

お酒も用意してお待ちしています。

アヤ子

藤岡亜弥写真展「Life Studies

【日時】 2011年7月23日(土)ー8月20日(土) 12:00-19:00

休:日・月

オープニングレセプション:7月23日(土)19:00 start

【会場】 AKAAKA (赤々舎)

〒135-0021 東京都江東区白河2-5-10

Tel:03.5620.1475/Fax:03.5620.1479

https://www.akaaka.com/

ニューヨーク在住の藤岡亜弥の一時帰国に合わせまして、待望の個展を開催

致します。今回は、ニューヨークで撮影した新作「Life Studies」と、20年前

に制作された未発表作「アヤ子江古田気分」、この2つのシリーズを中心に

展示致します。添付致しましたご案内をぜひご覧ください。

2011-07-23 | Posted in BLOG4 Comments » 

 

10月の光

わたしがNYに住みはじめたのは3年前の10月だった。

もうNYにきて3年目なのに、なぜこの光とこの空気がこんなに新鮮なんだろ

と不思議に感じていたら、去年も一昨年もわたしはこの時期をNYで過ご

していないことに気づいた。

この10月の光は三年ぶり。それはなにかが特別で、この光のおかげで

いまわたしは来たばかりのころの新鮮な気持ちを思い出している。

公園でリスが走り回っていることにさえ驚いてそのくるくる動くしっぽに

長い間見とれて、ケラケラ笑っていたあのころ。

落ち葉が夕日にキラキラ舞うのを見て、簡単に胸が苦しくなったあのころ。

なにもかもが新鮮で、なにも勉強しないおバカさんだったけど今考えると

それは「青春」と呼べる時間だったと思う。

三年前、NYで一年間暮らし写真をすることを許されたわたしは、その

目的に反して、このNYでの一年が、できればいっそのこと写真でない別の

才能が自分の中にあるかもしれないという発見の旅になりますようにと

願った。

写真は自分の肩に重いといつも思っていたからだ。

写真でないものにすべてを期待したわたしだったが、結局どこにも隠れた

才能は見つからず、やがてなにかをまちがえますます不可解な写真の

ドロヌマに入ることとなった。

写真は真剣にやろうと思いはじめたとたん裏切る。

なんでいつまでたっても写真がうまくならないんだろうと思うたび、

またもやなにか別のことにチャレンジしたほうがいいのではないか、

なにかもっと上手にできることはないのだろうか、

とまたそんなことを考えるのだった。

思えば三年目の今年はのほほんとリスに見とれ見えないものに希望を抱いて

いた一年目には気づかなかったことがいっぱい。

このアメリカという国の社会のメンタリティを学習したり慣れることで

精一杯で写真どころではなかった。なにを相手にか分からないけどずっと

戦ってきた気分。疲れたなあ。

それはもしかしたら自分の中の日本人というものと戦った一年だったかも

しれない。写真をやってもやらなくても人生はたいへんなんだ。

こうして自分の3年を振り返ったり、これからのことを考えたり

しているうち秋は深まった。

美しい10月を惜しんでいるうちに、気がつけば11月。

ハロウィンが終わり、ニューヨークシティマラソンが終わり、

そして夏時間から標準時間に戻り、本格的な冬の到来。

深まる秋にふくらんだ夢は、

①「来年のハロウインには勇気を出して仮装に参加する。」

②「いつか日本の旗のついた帽子をかぶってNYシティマラソン

に参加し、テレビにむかって笑顔で手をふる。」

③「結婚でもして新しい才能を見つける」(妹からの提案)

三つとも一人でやったら寂しいけど、だれかと一緒にやったら

楽しそう。

2010-11-13 | Posted in BLOG1 Comment » 

 

いや〜

長いあいだブログさぼってしまいすみません。

そうしているうちに「おーい生きてるか〜?」

「死んでたら連絡ちょうだい〜」(どうやって??)

ってメールたくさんもらって、友達ってすてき。

みんなこれ見て生存確認をしているんだと知りました。

こんなわたしを気にかけてくれてありがとう。

書こう書こうと思っていたんですけど、

8月、いろいろ言い訳を考えていたら、言い訳がおもしろくないので

さらに書く気をなくした。

9月、真夏の失敗談をしようと思ってブログに入ったらいきなり

大きく「エラー」という文字がでて、なんのエラー?なにがエラー?

コンピュータ?わたしの人生??、と大きく動揺してしまい

考えても分からないことを考えているうち、すっかりやる気をなく

してしまった。

そして10月、気分を新たにブログを更新してみようとしたら、

気がつくとログインするパスワードを忘れてしまっていたんです。

信じられないでしょう。わたしも信じられなかった。

そしてきょうは10月30日。11月になる前に

パスワードが見つかった。よかった。

そういうわけなんです。


さぼったけど話したいこといっぱいあるんですよ。

2010-10-30 | Posted in BLOG5 Comments » 

 

健康法

わたしは意志が弱い。

明日までに書かなければいけないたった400字の文章を

1ヶ月も前からのばしてのばして、ついに絶体絶命。

なのにまだこうやって逃げている。

意志が弱いだけでなく、朝にも弱い。

2度寝どころか懲りずに3度寝4度寝してしまって

そんな自分に落ち込むことが多い。

自分がだめなところを言い出すときりがないけれど、

でもこうやって不真面目な自分に落ち込んだりする自分のまじめさ

が自分をもっとダメにしているのではないか。

なんの努力も進歩もしていない、それは確かによくない!!

けれど、朝に弱いのは昔からだし、エンジンがかかるのが遅いのも

昔からだしそんな自分の性格はもう治らないのだから、悩んだり

責めたりするのはもうやめよう。

朝はとりあえず

「おぱよう。あーこさん、今日もよく寝たね。」と自分に言う。

ダメな自分がそこにいても、とりあえず笑っておこうというのが

最近のわたしの進歩である。

それだけでなく世の中には、努力しても努力しても自分には

どうしようもないことがある。それはしょうがない。

悩んだって怒ったってどうにもならないことが、たくさんある。

コントロールできないことに気を病むよりも、短い人生をどう

やって楽しく過ごすかが大事だと思うようになった。

そして最近はあんまり自分にイライラしなくなった。

以前は、朝ストッキングがうまくはけないだけで発狂していたのに

昨日の朝はヨーグルトを自分のひざに落としただけで笑っていた。

それは自分の脳の片隅にいつもとちがう色が見えた一瞬だった。

これは訓練かもしれない。

このあいだはある人から届いた手紙を読みながら泣きたくなる自分

を必死でこらえることができた。

悲しいことがあっても泣くと不幸な顔になるから泣かない。

言ってみれば人は悲しいから泣くのではなく、泣くからもっと悲し

くなるのだから。

そこで、泣きたい時むりやり笑うのにはどうすればいいのかというと、

健康ボール(バランスボール)の上に座ってジャンプしながら

意味もなく声を出してケラケラ笑う。

その様子はフラフープをするオバさんに匹敵するほど滑稽であるが、

こういうことは滑稽であれば滑稽であるほどよい。

ボールの上でジャンプしていると、体が勝手に楽しくなって笑いが

止まらなくなって、さらにそんなことで笑っている自分にまた笑って

しまうという、、、

きょうも朝から大笑いした。

最近はそんなかなり革命的、かつかなり狂気な健康法。

2010-06-30 | Posted in BLOG12 Comments »